母親がすい蔵がんで亡くなったことについて その1

先日、実母がなくなりました。
すい臓癌です。78歳でした。
まだちょっと信じられない気持はあります。
でも正直いって母親のことはあまり好きではありませんでした。
なので実はあまり悲しくありません。
でも、そんなこと誰にも言えないのでここでぶっちゃけようと思います。
私は3人姉妹の末っ子です。
結構田舎の古い家に生まれたので、あととり(男の子)がほしかったようで、私が生まれた時は「また女か」という感じだったようです。
小さいころから頭も悪く、運動神経もなく、取り柄のない私でした。
そんなこと自分が一番よく知っているのですが、母親や一番上の姉から「ダメな子」といわれていました。
真ん中の姉の通知表を見せられて(4が1つであとは5だった)、「姉はこんなに成績がいいのにどうしてお前はこんなに悪いんだ」といってきたこともあります。
とても繊細な私は傷つき、どんどん母親が嫌いになりました。
中学生になり、もうこれ以上母親にがみがみいわれるのは嫌だと思い、少し勉強したら成績が上がりました。
成績が上がるのが気持ちよくてさらに勉強したらどんどん上がっていったんです。
さすがに母親はもう「勉強しろ」とはいわなくなりました。
でも、ただそれだけです。
私を認めてくれようとはしませんでした。
誕生日を祝ってくれたこともありません。
別にケーキもなにもなくてもいいんです。
「今日誕生日だね。」とかひと言いってほしかった。
もちろんクリスマスプレゼントなんてありません。
友達の誕生会に行ったことがありますが、うらやましかったこと。
いつも怒られてばかりで、ほめてもらったことないですね。
特に2人だけでいるととても苦痛でした。
母親が黙っていたりすると「なにか気を悪くさせることしたかしら」と思いビクビクし、顔色をうかがいながらの生活。
結婚した時の解放感。
「これでなにもいわれなくなる」と思いました。
しかし、そんなに甘くはないです。
隣市なのでちょくちょく行かざるをえません。
子供が生まれた直後、最初あまり泣かなかったんですよね。
そしたら「こんなに泣かないのはおかしい」とか、初めてのことでいろいろ戸惑っているのにさらに心配を増やしてくれました。
そして絶対母乳でないといけないということでミルクはダメ。
でも黄疸が出て、病院から「たくさん飲ませてください」と言われ、結局ミルクもあげる羽目になったんですけどね。
その後も子供がなにかやると、例えばあいさつしなかったりすると「親(わたし)のしつけが悪い」といった感じ。
なんでもすべて結局「私が悪い」ということになるのです。
しかし、わたしもこのままでいいとは思っていません。
つとめて許すように努力してきたのです。
カルマを少しでも解消したかったんです。
しかし、頭ごなしに何かいわれるとどうしても憎しみの気持ちが出てきたりはしていました。
でも、2年前ごろからやっと母の日に花をプレゼントするようになりました。
世間では、娘が母親に母の日に何か贈るのは当然といった感じですが、わたしとしては何も贈らないのが母に対してのひそかな復讐でした。
どちみち姉などからもらっているようでしたので気にしていないと思いますが。
今生でカルマを解消したかったんだけどこの様子では無理ですね。
長くなったので続きは次回へ。

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